一台の軽自動車が岩手県大槌町内に点在する仮設住宅を軽快に回る。高齢者に頼まれた買い物の品を積み、ハンドルを握るのは沢山美恵子さん(55)。同乗する小松広子さん(32)、石川明子さん(29)との3人チームだ。
車は雪がうっすら残る山あいの仮設に着いた。めざすはひとり暮らしの三枚堂幹悦(さんまいどうかんえつ)さん(69)の部屋。豚肉の細切れとカット野菜、ちくわ、たばこの入った袋を届けた。
三枚堂さんは常連さん。毎日、夕飯の食材とつまみを頼まれる。以前は酒の注文がしょっちゅうで、「ちょっと飲み過ぎでしょ」と3人は注意した。「来てもらって、話が出来て、笑って。一日の楽しみ」と三枚堂さんの頬がゆるむ。
別の地域の仮設へは洗濯ばさみ1パックを届けた。依頼した祝田ハツ子さん(81)は「買い物に出るのが大変。1個でも持ってきてくれて助かる」と笑顔だ。
仮設で暮らす高齢者を対象にした買い物代行と安否確認は、盛岡市の女性センターを運営するNPO法人「参画プランニング・いわて」が始めた。国の緊急雇用対策を利用し、県内3地域で女性9人を月給制(週40時間)で雇う。
沢山さんたちは8月、その一員になった。電話で注文を受け、食料や日用品を買って配達。代行料は1回100円だ。高齢者入居の目印、黄色い旗が玄関先にあれば声をかけ、「買い物に困ったら電話して」とチラシを配る。
3人とも震災で仕事を失った。津波で職場が流された人も、社長を亡くした人も。沢山さんは食堂、小松さんは教材販売会社、石川さんは化粧品容器の組み立て工場で働いていた。避難所に2カ月いた小松さんは「休みすぎて、こんなんじゃ自分がダメになると思った」。ハローワークでこの仕事を知った。
被災地の求人は復興需要にわく建設や警備に偏る。女性の再就職は厳しい。NPOの副理事長、田端八重子さん(68)は「自分の食べる分は自分で稼ぐ。そうやって人は立ち直り、前へ進む。商売の基本の御用聞きをしながら、経済的自立への道をつけてもらいたいと思った」という。
沢山さんは車ごと津波にのまれ、窓から泳いで逃げた。仮設に落ち着いてから、津波にあった時のことを思い出す。胸がしめつけられることもある。全部なくなっちゃったんだ、と。
でも、注文が入れば、すぐ買い物にいって届ける。「仕事を通じていろんな人と出会い、話が聞けて勉強になる。今の私の生きがい」。一日が、あっという間に過ぎていく。
●避難先の神戸、仲間見つけた
ロールケーキはいかがですか。真っ赤な「べこっこロール」は、福島県の郷土玩具「赤べこ」をイメージした木イチゴ味のケーキ。福島から神戸に避難してきた母親ら8人が売っている。17年前の阪神大震災の被災地、長田区の商店街で。
そのひとり、伊藤麻奈美さん(32)は原発の事故直後、夫と長男(1)と神戸へ。市営住宅に入れたが、夫は仕事のため福島に戻った。
避難母子の交流会で、同じ境遇のママたちと出会った。「支援を受けるばかりでなく、何かしよう」。7月、グループ「べこっこMaMa」が結成された。
思いを受け止めたのは子育て支援のNPO法人「ウィズネイチャー」理事長、西森由美子さん(50)。神戸の洋菓子店の協力をとりつけ、べこっこロールを編み出した。
毎週日曜だけの販売なので収入は交通費程度。でも居場所があり、仲間がいる安心感。伊藤さんは「実家みたい。神戸にきてよかった」という。西森さんは「女性のネットワークをいかして」とエールを送る。
私の生き方はどうなのか。震災はそんな問いを突きつける。
多くの命が失われた阪神大震災に直面し、「自分の好きな仕事を思う存分したいという気持ちが芽生えた」と話すのは神戸市の山田三千代さん(53)。兵庫県内の百貨店で契約社員として営業企画をしていたが、2000年、女性の視点をいかした宣伝企画会社を起業した。
山田さんは言う。「おいしいコーヒーが飲みたいとか、オシャレしたいとか、被災地にもニーズがあり、街づくりや仕事づくりに生活者の目線が必要になる。女性の力をいまこそ生かすとき。自信を持ってほしい」(中塚久美子)
2012/03/01 朝日新聞大阪版
協力:国際協力NGOオックスファム・ジャパン
URL:www.oxfam.jp