東日本大震災女性支援ネットワーク・研修チームは、宮城県南三陸町の女性たち対象に、女性のエンパワメント・ワークショップ 「防災・災害支援・復興に多様な視点を ~被災経験を”これから”につなげよう」を行いました。

◆日時:2012 年4月22日(日)10:20-15:30
◆場所:宮城県本吉郡南三陸町 平成の森

《当日の進行》
▼10:20
・あいさつ (みやぎジョネット代表 草野 祐子)
・団体紹介 (東日本大震災女性支援ネットワーク 田中 雅子)
・プログラム紹介 (同 浅野 幸子)
・進行上のルール確認 (同 池田 恵子)

▼10:30
【第1部 この一年間の経験の振り返り】
1. 被災の経験と思いを語り合おう!(グループワーク)

▼11:40
2. 災害支援の国際基準ってなあに?「スフィア・プロジェクト」が目指すものと私たち
(解説 池田 恵子/コメント 難民支援協会 石井 宏明)

12:20 昼食休憩

▼13:00
【第2部 今後の防災と地域活動について考える】
3. 女性たちの声を今後の防災対策・地域活動に生かすために (浅野 幸子、池田 恵子)

▼13:45
4. くらしの再建・復興にかかわる支援制度について(難民支援協会 協力弁護士 横山 渡)

▼14:30
5. これからの一歩 (全体ディスカッション)

▼15:30 閉会のあいさつ (草野 祐子)

●共催:みやぎジョネット/東日本女性大震災女性支援ネットワーク
●協力:特定非営利活動法人 難民支援協会/国際協力NGO オックスファム
—————————————————————————

自己紹介: みなさんの宝を確認しよう

参加者自身が、自分のもつ資源を確認するために、家族以外の仲間、友人など人的資源、地域活動経験、得意なことや好きなことを、紙に書き、ごく短時間で自己紹介の代わりに活用。

 

【第1部 この一年間の経験の振り返りと共有】

1. 被災の経験と思いを語り合おう!

「女性ゆえに、困ったこと、納得のいかなったこと」について、4 つの時期に分けて、5 グループで意見交換を行った。(各グループの記録は、草野、浅野、池田、田中、難民支援協会 荻原直子が担当)

第1期 発災直後の緊急避難期(自分たちだけで助け合わねばならなかった時期)

●医療
・避難中にずぶ濡れになり、体調を崩した。
・薬がなくて、発作を起こす人がいた。
・末期ガンの人や透析患者などに対応するのが難しかった。
・臨月の娘を抱えていたが、出産の手配ができなかった。またその娘を支える母親の大変さをわかってもらえなかった。

第2期 外部者による支援が入り始めた時期(避難所または自宅で避難生活を続けた時期)
●物資
・避難所でしか物資の供給・配布がなく、そこで寝泊まりした人にしかもらえないので、物資をもらうために、在宅避難者も狭い避難所に行ったり、そこで寝泊りすることになった。
・家が流された人と家が残った人との間で、受けられる物資配給が異なり、隔たりが残った。そのときの姿を子どもに見せたくなかった。
・地元の女性ボランティアが自分の身内や知り合いにだけ、下着や靴下を渡しているのを見て、嫌な気分になった。

●着替え・プライバシー
・避難所で3 週間暮らしたが、更衣室が用意されず、水の出ないトイレや布団の中で着替えた。
・夜泣きする子どもが何人かいた。4-5 日目に専用の部屋を決めて移動するようにしたことで、子どもを持つ母親はホッとした。
・落ち着いて寝られないため病気になりそうになった。

●衛生
・水がないため川でタオルを濡らして子どもの体を拭いたが、かゆがっていた。
・水が出なかったので、子どものオムツ交換に困った。
・自分は1 週間下着がなく、体を拭くこともできなかった。
・下着を交換できないため、オムツを代わりに使ったり、ウェットティッシュをおりものシートとして洗って使った。

●トイレ
・水が流せず、すぐに汚物でいっぱいになった。避難所でも集落でも穴を掘って対応した。
・仮設トイレは安全だっただろうか?女性や足腰の悪い人にとって使いやすかっただろうか?
・トイレに常に人が並んでいるのが嫌だった。

●ライフライン(水道、ガスなど)
・しばらくは川で水を汲んで生活用水にした。洗濯なども井戸水を使った。
・体力のない人は、給水車へ汲みに行くことも難しかった。
・上水道が通るのに時間がかかった。また通水しても飲める水かどうか不安な状態が続いた。
・この地域ではプロパンガスが使われていたので、残ったものを拾ってきて使うことができた。

●家族・地域との関係
・嫁ぎ先の身内が亡くなり、自分自身の兄弟姉妹のそばにいられなかった。
・地域の人といたほうが安心だと思って一緒に行動したが、行き違いから村八分状態になった。
・30 人くらいで、約200 食の食事を朝・昼・晩用意しなくてはならなかった。

●制度・仕組み・手続き
・罹災証明書を取得したり、諸手続きをするのに、情報が得にくかった。
・外国人登録制度と住民登録が別になっており、外国人が罹災証明書を出してもらうことは難しかった。

 

第3期 仮設住宅に移ってから/ライフラインが復旧してから/自宅を修復してから
・仮設住宅は、収納場所が不足している。共同でもよいので、物置を設置してほしい。
・仮設住宅の狭い空間で暮らしているため家族関係が悪化した。
・仮設住宅では、家の中で動く場所が少ないので、不活発病になった。
・買い物のできる場所が遠いので、週に1 度車で出かけることしかできない。
 

第4期 今現在
・仕事を探したい。
・子どもの学校への送迎に時間をとられ、働くことができない。
・働きたいが、子どもや家族の世話があるので、職場が遠いと勤められない。
・仮設の支援員として活動しているが、海の仕事など以前の仕事にまた就きたい。
・自分の職場復帰がきっかけで、家事を母が代わりにやってくれるようになり、互いの関係が深くなった。
*難民支援協会の活動地、陸前高田では、住民同士が話し合い仮設住宅内で学童保育を始めた。
 

<コメント>
同じ町内で災害に遭っても、それぞれが経験したことに大きな違いがあることを互いに理解できたという感想があった。一方、物資配布など支援によってもたらされた住民同士の不公平感について話題が集中しがちで、家を失った人と修復が必要でも家が残った人、避難所で物資をもらった人と在宅避難中に支援を受けられなかった人との間の、現在に至るまでの隔たりの深刻さがうかがわれた。
 

2. 災害支援の国際基準ってなあに? 「スフィア・プロジェクト」が目指すものと私たち

*配布資料「スフィア・プロジェクト:人道憲章と災害対応に関する最低基準」に基づくチェックリスト

基準が作られた背景と、被災者には「尊厳のある生活を営む権利」と「援助を受ける権利」があること、
「脆弱な人々」が指す意味等を池田より説明。支援は、力の強い人により多く届いてしまいがちだが、一番脆弱な人に多くの支援がいくことが、全体としても効率が良いことに気づいてほしい。支援が被害を一層悪化させないことが大切。機会の平等だけでなく、支援の結果として平等を保障する必要がある。

「スフィア・プロジェクト」の翻訳版を発行した難民支援協会の石井は、以下の補足コメントを述べた。
・日本の避難所には、パキスタン地震後のキャンプよりもひどい状態のところもあったが、避難所を手探
りで運営している地元の方に、国際基準の適用を無理強いすることはできない。
・みなさんの意見やフィードバックは、次の改訂に活かされるので、使える基準を選んで活用してほしい。
 

<意見交換>
・避難者数が多いときには、一人ひとりの意見を聞くことは時間的に無理ではないか。そうするだけの気持ちのゆとりもないのではないか。
・避難所運営をしていた地域の責任者や校長などは、自分たちのために最善の判断をしてくれていたのではないか。そういう状態の中で要望は言いにくい。
・個別に要望するのではなく、女性たちが意見をまとめて提案すれば良いのではないか。
・フィリピンでは、女性のほうが地域活動でリーダーシップをとっている。日本女性も日頃から男性のパートナーとして動くべきではないか。男性ができることは女性にもできるはず。フィリピンでは「女性がいないと地球が回らない」と言われている。
・県職員なども女性の参画の必要性は理解しているが、上からの指示を待っていては遅い。女性たちが常に意識を高めておくことで、非常時にも発言できるのではないか。
・できることから始めれば良い。防災訓練のときに避難所に入ってからの役割分担まで決めておくこともできるのではないか。
・避難所の運営委員や役員・班の責任者に女性も入れることを決めておく必要がある。
・責任者の数は男女同数にしてほしい。
・地元組織である契約会などのトップ三役はすべて男性で、女性が入ることは難しい。南三陸町では女性が三役を務めている地域はゼロ。男性が女性を迎え入れようという気持ちがない。

<コメント>
南三陸町在住のフィリピンの女性たちの社会に対する積極的な姿勢は、日本の女性たちにとって刺激になったが、同時に地元で育った人と、結婚で他所からやってきた人との地元社会に対する見解の違いも際立った。
 

【第2部 今後の防災と地域活動について考える】
3. 女性たちの声を今後の防災・地域活動に活かすために

*配布資料「防災基本計画」、「復興への提言」、「復興支援に向けた多様な担い手のロードマップ」

午前のグループワークで出た意見を浅野が整理し、話し合いの振り返りを行った後、東日本大震災後に新規に作成・修正された政府の政策の中で、男女共同参画の視点を取り入れられた項目・記述について浅野、池田より説明。例えば、「避難場所の運営における女性の参画を推進する」、「女性用下着の女性による配布」などが、新たに盛り込まれている。自治体などがこれらの点を地域の防災計画の中で具体的に生かしていくためには、女性たち自身がすでにある政策等を学び、地元で自治体を動かしていく必要があることを確認した。

 

4. くらしの再建・復興にかかわる支援制度について

*配布資料「どんな援助が受けられるの?(南三陸町)」、「個人版私的整理ガイドラインってどんな制度?」、「法テラス南三陸 案内」


難民支援協会に協力している横山弁護士が、被災者生活再建支援金、災害弔慰金、義援金の申請方法と手続き期間の延長、過去の震災の被災者の声によって制度が改善された経緯と、「声をあげれば制度が変わる」ことを説明。
 

5. 「これからの一歩」

生活再建・地域活性化、復興まちづくりへの参画、家族との関係、防災等をキーワードに、全体で意見交換をした。

●地域の活性化への女性の参画
・仮設住宅には様々な地域の人が入っているので、そこで親しい関係を作ることが先決。知っている人でも、よく馴染んだ相手でないと話しにくい。ジョネット等が集まる場を作ることで、関係が作られていく。
・女性は男性の背後で支えている。女性も復興の役には立っている。上に立つのは男性だと考えるのではなく、日頃から女性も入っていくことが第一歩。
・南三陸町には、契約講(男性世帯主の集まり)、観音講(世帯の「嫁」の集まり)、念仏講(「おばあちゃん」の集まり)がある。街灯を増やしてほしい等の要望は、契約講に要請することになっている。契約講に女性が参加することはありえない。女性の参画を促すよう行政から言ってもらうほかない。行政から言ってもらえば、地区の契約会も動くはず。
・行政から言ってもらったときに、実際に女性が入ることができているよう準備が必要。
・地元の女性たちから行政に要請する必要がある。「地元の要請」であることが伝わらないと、外部からの働きかけだけでは実現しない。
・地域によっては「男性契約(講)」と「女性(嫁)契約(講)」が別になっている。
・区長などトップ三役に女性が入っていけば、「女のくせに/嫁のくせに黙っていろ」と言われなくなるのではないか。
・男性にも男女共同参画の重要性を理解してほしいので、(今日のワークショップにも)男性も一緒に参加してもらったほうが良い。女性は、自分がしたいことを男性たちに伝えていく必要がある。

●復興まちづくりへの参画
・高台移転の説明会などには、長男と自分がふたりで参加するようにしている。復興に関する協議への参加者の3 分の1 くらいが女性だが、発言した女性は自分ひとりだった。自分たちの世代は家督があので、墓守のためにも移転はしたくないが、若い世代は利便性重視。意見が異なるので、家族会議も頻繁にしている。

●防災
・過去に防災無線の多言語化を要請したが、取り入れられなかった。実現するためには今がチャンス。
・フィリピンなど外国籍の住民も、日本のみなさんと一緒に行動したい
・地域にある既存の組織だけでの対応には限界がある。PTA のつながりなども活用できないか。
・女性防災会議の立ち上げなどグループを作って提案してはどうか。
・女性議員とのつながりも活かすことが可能ではないか。
・女性たち自身が存在感を示していく必要がある。

●女性の参画を阻む理由
・「わたし」を基点として家族、親戚、地区、町(市)、県・国へと広がる同心円モデルを使って、行政が推進している女性の参画を阻んでいるのは何か考えてみてはどうか。
・ここでは地域や仲間との関係が重要。
・急激に変えることはできないが、今のままでは限界があることも理解できる。
 

閉会のあいさつ

・一般の女性を対象に「スフィア・プロジェクト」を紹介する初めての研修となったが、ジョネットは南三陸の女性たちに質の高い情報を提供したかった。
・これまで会って個別に話すだけでは形にできなかったことを共有したかった。
・参加者の地域を良くしたいという強い思いを感じた。
・行政は女性を応援する体制をとっているので、地域の女性たちのほうから声をあげてほしい。
・今日出た意見や提案を形にするよう、ジョネットハウスを活用して話し合いを続けていきたい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Oxfam

協力:国際協力NGOオックスファム・ジャパン
URL:www.oxfam.jp