被災地からの声

6月1日、脱原発をめざす女たちの会「脱原発こそ未来を拓く いま、被曝から子どもを守ろう!」が、日本教育会館にて開催されました。
http://risetogetherjp.org/?p=3936

第2部のパネル・ディスカッション 「被曝から子どもを守ろう!」では、福島で被災され自主避難された女性たちが、避難から現在までの本音を率直に語っています。

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公益財団法人ハイライフ研究所は、特定非営利活動法人 日本都市計画家協会(JSURP)の協力を得て、「東北復興の今を伝える」シリーズ、「東北復興は、次世代型まちづくりの手本を示せるのか」を連載しています。

第4回は、「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転 として、
・岩手県陸前高田市「長洞元気村」
・宮城県気仙沼市「小泉地区の明日を考える会」
・宮城県東松島市「野蒜(のびる)地区復興協議会」
の3つの事例を現地の方の声をもとに動画にまとめています。

*詳細レポート
http://www.hilife.or.jp/wordpress/?p=7293
●はじめに
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2013 年3 月17 日(日)、いわき市総合保健福祉センターで開催された、第3回ふくしまフォーラム「『災害弱者』と呼ばれる障がい者・高齢者の避難 その課題と解決策を考える」の動画です。

「ふくしまフォーラム」は、いわき市の障がい者支援のNPOいわき自立生活センターが中心に主催しており、2012年6月、10月、2013年3月と3回開かれています。
http://fukushima.socialforum.jp/ 続きを読む…

東日本大震災から1年3カ月。
インクルいわてのメンバーは、自分たちの住むこの岩手が被災したことで、潜在化していた様々な問題がむき出しになり突きつけられて、今何が出来るのか 何が求められているのかをずっと探ってきました。

社会的排除リスクの高い方々(低所得者、ひとり親世帯、女性、子供など)つまり社会的弱者がそのまま災害弱者となりました。 続きを読む…

昨年の大震災後に、東日本大震災女性支援ネットワークの皆様から頂きましたご支援、ご協力に感謝いたします。

私達は、昨年4月に郡山市内の女性グループと共に、避難所内に女性専用の居住スペースの確保や相談コーナー設置の要望書を提出し、その後は避難所内での女性専用スペースの運営、仮設住宅での「ホッとカフェ」の開設、電話相談等をしてきました。 続きを読む…

私が東日本大震災女性支援ネットワーク世話人のお話をいただいたのは、ネットワークの取り組みにおいて、マイノリティ女性、特にレズビアン、バイセクシュアル女性、トランスジェンダーの人たちの視点や声を反映するためでした。

LBTは、性的指向・性別自認・性別表現によって、時に典型の「女性」に関する議論から自然と排除されてしまうことが多くあります。そのような現状において、「女性支援ネットワーク」が、女性でありLBTであるという複合差別の対象となりがちでありながら見えない存在であるLBTを取り組みの中に含めようとしたことは、画期的なことであり、私たちLBT当事者にとって嬉しい驚き、励ましとなりました。 続きを読む…

NPO法人ハーティ仙台の代表のやはたです。
本日はすばらしい会議に参加させていただき本当にありがとうございました。4月より、被災地支援の「みやぎジョネット」の代表は、交代いたしました。今までの、多大なご支援に感謝いたします。よく考えてみると、東日本大震災女性支援ネットワークのイベントに、初めて参加することができました。

2011年の3・11 以後、ほぼ1年間、無我夢中の日々でした。
自分もハーティ仙台の仲間も、自宅は地震の半壊判定。そして余震が続く中での1年でした。昨年の4月ようやくガソリンが入手できました。自衛隊の救援車とパトカーしか走っていないボコボコの道路を走り、ようやく自分の故郷の石巻につきました。あまりの惨状に呆然としました。身内を探し、避難所をめぐりました。まだ家ごとみつからない親族もいます。何ができるのか・・呆然とした私に、電話やメールで全国、アメリカからも心配し、励ましてくれる連絡が入りました。皆さまです。 続きを読む…

私の実家は民宿をしています。震災で被害もなく、次の日から避難所として解放しました。8月に避難所としての役割を終えるまで、最も多い時で100名近い人がいました。

3月12日の朝、薄暗い台所に立って「前向きに行こう・・何とかなる。みんなで今日を生きよう」と決意しました。朝、動ける人達と食事の用意、昼の時間は沢に洗濯、午後は食料探し、夕方、食事の用意と慌ただしい生活。

家から見る景色は瓦礫の山。家を失った方、家族を失った方、沢山の方々との生活。電気もない、水はでない、困ることばっかり。そんな生活も笑いながら過ごせたのは地域の方々の強さでした。

避難所から仮設住宅に移る日は別れの日。泣きながら、見送ったこともありました。今では思い出となり、会うと思い出話をします。

震災から1年を迎えた今、最も欲しいことは”笑って暮らせる生活”。そして、今、やりたいことは、たくさんの知識が不足しているので、もっと勉強して人の役に立つことを次の人につなげることかもしれません。まだまだ支援は必要ですが、一人ひとり必要とされる支援のカタチは違います。自立支援の手伝いが望ましい。

家から見る景色は何もないけど、これからみんながまた、戻ってくる日が待ち遠しい。時間はかかるかもしれないけど、この場所でみんなの帰りを待っていよう。
朝はくる。今日も前向きに生きよう・・・。

南三陸町 及川まき

東北で被災された女性たちとコミュニケーションをとる様々なワークショップが開催されたが、東日本大震災女性支援ネットワーク(Rise Together)メディアチームが、2月に行ったメディア・ワークショップでは、当初の目的だった写真つきのレポートを完成させることができた。2011年3月11日に東北沿岸を直撃した東日本大震災の一周年は、多くの人にとって「初めて」の経験となった。
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震災から半年過ぎました。被災支援開始から5ケ月です。お抹茶、手工芸、ハンドマッサージ、ネイルケア、そして全国の人々愛の詰め合わせを避難所に届けました。 続きを読む…

Oxfam

協力:国際協力NGOオックスファム・ジャパン
URL:www.oxfam.jp