南三陸町出身の下山うめよさんにとって、記者会見で3月11日の恐ろしい出来事について自分の視点から話すということは、勇気と未来への強い思いがなければできないことだった。しかし、東日本大震災女性支援ネットワークとみやぎジョネットで組織された7月23日の記者会見は、地方の一女性にとって、人生の大きな転換点となったと下山さんは言う。

「メディアに話すことなんて初めてでしょ。自信がついたし、自分たちのために物事をどう変えていきたいか、被災した女性が伝えるいい機会だった」と下山さん。

地震が起きた時、巨大な津波に襲われた南三陸町の人々は高台に逃げ、巨大な波が街を丸ごと運び去るのを目撃したと、報道関係者に語りかけていた。幸運にも家族がその場にいなかったので、下山さんは近所の子供たちと一緒に逃げた。木立の下で火が消えないように気をつけながら、町の人たちと薪をとり囲み、凍えながら夜を過ごした。

後には避難所での長い日々が待っていた。女性には、被災者のために何百人分もの賄い作業が割り当てられ、毎朝4時起きで米を炊き、皿を洗った。自分もまた被災者であり、家族や家を失った直後であることを考えれば、それは精神的にも肉体的にも疲弊させる過酷な仕事だった。

4ヶ月たっても、ほとんどの被災者は仮設住宅に移ることができず、なんとか生活の再建をしようと今も一所懸命だと言う。下山さんは地元のリーダーとして選ばれたこともあり、みやぎジョネットの支援のもと、女性の声を聞き取る作業も始めている。それが自信となり、そしてこれからも女性たちの声を拾い続ける決意を持ちつつあるそうだ。

「高齢の被災者には、より手厚い援助が必要だと思う。新しい環境で生活を再建し始めた時は、うつ病の危険もある。子供たちもまた、困難な変化に適応しようとしている。いまこそ女性が力を発揮できるとき。個人的なコネクションを使うことや、個人の声を大きな計画に繋げる能力を持っている」と下山さんは言う。

女性グループの手助けによって、女性被災者は、堂々と自分たちの意見を主張できるようになる。人々のニーズを集める調査にも参加し、新しい生活手段を切り開いていく。いまこそ、女性の力が求められている、と下山さんは語る。

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